日本歴史地名大系 「私学校跡」の解説
私学校跡
しがつこうあと
明治七年(一八七四)六月以降、前年に征韓論に敗れて下野した西郷隆盛に従って鹿児島に帰ってきた者を指導教育する目的で設立された学校の総称。現在の国立南九州中央病院の敷地にあたる鹿児島城の
後迫分校に一時所属した玉利喜造の回顧録(「学舎之研究」第一輯)によれば、昼間の公学校に対して夜学校を私学校と称し、本校・分校ともに自ら私学校と称してはいない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報