玉利喜造(読み)タマリ キゾウ

20世紀日本人名事典 「玉利喜造」の解説

玉利 喜造
タマリ キゾウ

明治・大正期の農学者 鹿児島高等農林学校校長;貴院議員(勅選)。



生年
安政3年4月25日(1856年)

没年
昭和6(1931)年4月21日

出生地
薩摩国(鹿児島県)

学歴〔年〕
東京駒場農学校(現・東京大学農学部)〔明治13年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔明治32年〕

経歴
東京駒場農学校勤務から、明治17年米国留学し、ミシガン州農学校及びイリノイ大学に学ぶ。20年帰国し、東京農林学校(のち農科大学)教授就任。36年盛岡高等農林を創設し校長となる。東北地方開発について、米作に偏ることを戒め、耐寒作物の栽培をすすめた。またリンゴジャガイモ燕麦等の栽培を装励して「混合農業」と称した。42年鹿児島高等農林の設立と共に校長に就任。大正11年勅選貴院議員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「玉利喜造」の意味・わかりやすい解説

玉利喜造 (たまりきぞう)
生没年:1856-1931(安政3-昭和6)

明治・大正期の近代的な農学研究・教育の先駆者。薩摩藩士の次男津田仙の学農社をへて1880年に駒場農学校(現,東大農学部)の第1回卒業生(首席)。母校に勤務。84年にアメリカで開かれた万国工業・棉百年期博覧会に派遣され,引き続き2年間留学の後,東大教授として畜産学,園芸学を講義,品種改良をめざしワタ,ナタネ,オオムギの人工交配試験などを日本で初めて実施した。郷里の先輩前田正名に協力して大日本農会参事となり,また全国農事会と中央農事会の幹事長を務めた。農学実地指導者の養成を主張。1902年以降,盛岡・鹿児島高等農林のそれぞれ初代校長となり,退任の22年に貴族院議員に勅選された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉利喜造」の解説

玉利喜造 たまり-きぞう

1856-1931 明治-昭和時代前期の農学者。
安政3年4月25日生まれ。玉利親賢(ちかたか)の弟。駒場農学校(現東大農学部)の第1期生。帝国大学教授などをつとめる。明治32年農学博士第1号。36年わが国最初の高等農林学校である盛岡高農の初代校長,42年鹿児島高農初代校長となる。貴族院議員。昭和6年4月21日死去。76歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「玉利喜造」の解説

玉利 喜造 (たまり きぞう)

生年月日:1856年4月25日
明治時代;大正時代の農学者。東京帝国大学教授
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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