源平両氏から徳川氏に至る歴史を,司馬遷の《史記》世家の体裁にならい漢文体で叙述した歴史書。頼山陽の著。1800年(寛政12)脱藩後の幽閉中に執筆を始め,その後推敲(すいこう)を重ね,論賛を加えて26年(文政9)完成。22巻。《通議》《日本政記》とともに山陽の歴史書三部作とされる。人物中心の武家興亡史であるが,簡潔・平易な漢文,情熱あふれる名文で叙述された歴史文学ともいえる。史実は《大日本史》などの歴史書以外に,世上に流布した軍記物にもとづいて書かれているため誤りも多いが,特色は儒教の名分論から展開された独自の尊王思想にあり,内容や〈外史氏曰〉として付けられた論賛はもとより,全体構成からもそれがうかがえる。幕末から明治期にかけて多くの読者を得,尊攘派の志士に大きな影響を与えた。36年(天保7)ごろ〈拙修斎叢書〉の一つとして刊行され,その後いわゆる川越版や頼氏正本が刊行され,中国でも出版された。《頼山陽全書》所収。
執筆者:頼 祺一
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江戸後期の歴史書。22巻。頼山陽(らいさんよう)著。1827年(文政10)に完成し、松平定信(さだのぶ)に献呈された。1836~37年(天保7~8)ごろ刊行。源平二氏から徳川氏に至る武家の興亡が家別・人物中心に漢文で記述されている。20余年の歳月を費やし心血を注いでなった山陽のライフワークであり、生前から写本として流布し、死後刊行されて未曽有(みぞう)の大ベストセラーとなった。明治以後、諸外国においても復刻本や翻訳本が刊行された。ただし本書を学問的立場からみると、史実に誤謬(ごびゅう)の多いことが気になる。本書の史論には、(1)日本史上における皇室の存続を重視し、天皇の権威を絶対化する大義名分論の観点と、(2)歴史上政治的実権が次々と交替してきたという事実に注目し、そこに「天」の道徳的理法をみいだすとともに、歴史的世界における政権の変動を不可避の「勢」とみる観点が認められる。また(2)によって徳川幕府の衰亡を暗示したのではないかと推察される叙述もある。こうした史論が、情熱的な名文と相まって幕末の尊王運動に大きな影響を与えた。
[石毛 忠]
『頼惟勤編・訳『日本の名著 28 頼山陽』(1972・中央公論社)』▽『頼成一・頼惟勤訳『日本外史』全3巻(改訳版・岩波文庫)』
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歴史書。22巻。頼山陽(らいさんよう)著。1827年(文政10)成立。36年(天保7)刊。源・平2氏から徳川氏に至る武家の時代を代表的な家別に記し,政治の実権が武家に帰した経過と由来を,仁政安民思想と名分論的な観点に立って叙述。「史記」を範とした本書の歴史叙述や論賛における史論は広く流布。とくに幕末の尊王運動に影響を与えた。新井白石「読史余論」や中井竹山「逸史」など先行の歴史書に負うところが大きい。多くの版本や抄出本があり,「標注日本外史」など註釈書も多い。「岩波文庫」「頼山陽全書」「日本の名著」所収。
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…この前後,ときに気鬱の病を発していたが,1800年脱藩,連れ戻されて一室に幽閉された。やがて読書を許され,この間史書執筆を志し,《日本外史》を起稿。03年(享和3)廃嫡となり,2年後に門外自由の身となった。…
※「日本外史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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