秋永(読み)あきなが

日本歴史地名大系 「秋永」の解説

秋永
あきなが

上長飯かみながえ地区の秋永を遺称地とし、現上長飯町竹町たけまち辺りに比定される。建久図田帳(長谷場文書)に秋永とみえ、島津庄日向方なかん郷に属し田数は三町六反一〇であった。島津家文書の建久図田帳にはみえない記載であり、室町期に通用した基準田数であったとみられる。応安八年(一三七五)三月二三日、島津氏久は富山義弘の所望により、富山氏相伝知行の島津庄中郷内の富山とみやま安久やすひさ名・和里木わりき名とともに、秋永の安堵室町幕府に申請した(「島津氏久挙状写」志々目文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む