稲尾城跡
いなおじようあと
[現在地名]境町稲尾
稲尾の最南端、長井戸沼に突出た舌状台地先端に位置。昭和四七年(一九七二)の土取工事のため沼縁の南部は変形してしまったが北側に濠がわずかに残存。「東国闘戦見聞私記」に「柳橋の方より唯一方口にして長井戸へも舟なくんば渡る能はす(中略)此地の主将は稲尾加賀と云ふて小身の者」などとみえ、天文二三年(一五五四)下野の小山朝政が下総に侵攻し、柳橋城(現総和町)を攻めたのに続いて稲尾加賀を降したとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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