稲尾村(読み)いなおむら

日本歴史地名大系 「稲尾村」の解説

稲尾村
いなおむら

[現在地名]境町稲尾

長井戸ながいど(現在は水田)の東枝・西枝に挟まれた台地南端に所在。北は志鳥しとり村。集落は沼縁の台地にある。稲尾古墳群が長井戸沼東枝に臨む台地上、字東稲尾・神明越しんめいごしにあり、円墳四基が確認されている。天文期(一五三二―五五)には稲尾加賀の稲尾城が存在したが、天文二三年の梅千代王丸足利義氏充行状写(野田家文書)の「先御落居之地廿五郷」には「稲穂」がみえ、野田左衛門大夫の支配地。天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)には「上幸嶋」のうちに「いなを」とあり、野田三郎が支配。


稲尾村
いなおむら

[現在地名]大町市大字たいら 稲尾

現大町市の北部、木崎きざき湖の東岸の中ほど現もり集落の北に位置する。東方の現北安曇きたあずみ美麻みあさ新行しんぎようから流下する稲尾沢いなおざわ川のもたらした火山灰土が村居の西方木崎湖岸に堆積し、典型的な湖岸扇状地をつくり、そこが水田耕作の場となっている。

稲尾の名は、天正一七年(一五八九)小笠原貞政(のち秀政)から、その掌握下にあった千見せんみ城在番の浅野久右衛門にあてた黒印状(浅野文書)に、「稲尾之内九貫五百文、貫目外之屋敷五百文、合拾貫文被下置候」とあって、城番・普請の労に対して稲尾の地を与えたのを初見とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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