稲童名
いなどうみよう
現大字稲童に比定される中世の名。北九州市門司区の和布刈神社に伝わる「豊前国稲童名相伝系図」によれば、本主高瀬太郎種忠が承元元年(一二〇七)一二月二七日の下文を得て支配していたが、建暦元年(一二一一)に種忠の子稲童丸が武藤宗平に譲った。宗平は大宰少弐を勤めた武藤氏の庶流で、企救郡吉田村(現北九州市小倉南区)を本領とする。その後稲童名は宗平から資宗―覚実―頼宗―頼村(法名崇観)と相伝された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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