日本歴史地名大系 「積川村」の解説 積川村つがわむら 大阪府:岸和田市積川村[現在地名]岸和田市積川町稲葉(いなば)村の南、牛滝(うしたき)川と同支流深山(みやま)川が合流する付近に位置する。村内で合流した牛滝川は北流し、牛滝街道が村を南北に縦貫する。村高は古検高三七二石余(延宝七年「検地帳」岡本・栢木家文書)。延宝七年(一六七九)伊勢神戸藩による新検高は三一一石余、田方一八町七反余・畑方一町四反余・屋敷一町四反余(前掲検地帳)、きわめて田方がちの村柄である。元禄期(一六八八―一七〇四)の和泉国郷帳(高井家文書)では三〇九石余。元文五年(一七四〇)の泉州四郡村々高付帳(荒木家文書)では三一二石余。少なくとも寛永元年(一六二四)以降幕府領であったが、元禄一〇年武蔵川越藩領に転じた。以後の領主の変遷は稲葉村に同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by