内畑村(読み)うちはたむら

日本歴史地名大系 「内畑村」の解説

内畑村
うちはたむら

[現在地名]岸和田市内畑町

泉郡に属し、南郡積川つがわ村の南、牛滝うしたき川上流、牛滝谷と外通そとかよい谷との交差点にあたる盆地に位置する。牛滝川が南から北へ流れ、支流の深山みやま川は村の東部を北流し、西山にしやま川は村の西を流れて牛滝川に合流し、牛滝街道が村を南北に貫通している。当地に山直やまだい神社があり、同社は「延喜式」神名帳に載る和泉郡山直神社とされるので、当地は古代和泉郡山直やまたえ(和名抄)に含まれたとみられる。大永七年(一五二七)八月一日の日根野加賀入道宛内畑宛行状(日根文書)に「内畑之事、為新御恩被仰付上者、無相違可有全知行之由候者也」とあり、日根野氏に内畑が与えられている。また永禄五年(一五六二)五月九日の日根野孫七郎宛富上宗俊書状(同文書)によれば「内畑政所分」など三ヵ所の替えとして「天下本知分半分」が孫七郎に宛行われている。

内畑村
うちはたむら

[現在地名]大津市石山内畑町いしやまうちはたちよう

南郷なんごう村の西にあり、南の外畑そとはた村とともに山城国境に位置する。千町せんちよう村から岩間いわま寺を経て醍醐だいご(現京都市伏見区)に向かう岩間越が通り、西国三十三所観音巡礼道として利用された。応永一五年(一四〇八)一一月二八日の管領斯波義教施行状(石山寺文書)に「波多郷」とあり、幕府石山寺領の同郷への本所雑掌の違乱をとめ、もとのごとく石山寺の一円進止とすべきことを守護六角満高に命じている。この本所は「兼顕卿記別記」文明一〇年(一四七八)八月二六日条に「陽明家領畑郷」とあることから近衛家と考えられ、このとき同家は石山寺に押領されていたのを取戻している。

内畑村
うちばたむら

[現在地名]臼杵市海添かいぞえ 東海添ひがしかいぞえ

海添村の南、海添川の上流域に位置する。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳に村名がみえ、高四五石余、海添村組に属し、村役人助兵衛を記す。寛永一一年(一六三四)の郷村高付帳(臼杵藩政史料)では左津留村組に所属、のち海添組に属した(万用集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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