朝日日本歴史人物事典 「窪田統泰」の解説
窪田統泰
室町後期の絵師。室町期のやまと絵の一流派である窪田家の3代目で,藤兵衛,又次郎,日向守を称した。窪田家は3代続き,嘉吉1(1441)年から弘治2(1556)年までの記録がある。統泰は文献によれば1522年から56年までの生存が知られ,3代のなかでは最も活躍した。宮廷にはしばしば出入りし,三条西実隆はじめ公家衆とも密接であった。武家では細川家と,また若狭の守護武田家とは被官的関係を持ち,京都と若狭を往還して政情・文化のパイプ役を務めた。一方,窪田家は代々,当時京都に興隆した法華宗寺院の御用絵師的な役割も務め,統泰も京都本圀寺の「日蓮聖人註画賛」(1536,現存)を描いている。他に福井桂林寺の「涅槃図」(1522,現存)や,文献上では福井の法華宗長源寺の祖師堂の絵馬を描いたこと(1556)などが知られる。その卑俗的な画風には,現世を釈迦の浄土そのものとうたった法華宗の現世肯定的な活力があふれている。また統泰は応仁の乱後にはやった手猿楽(素人猿楽)の名手でもあり,美声で知られた。<参考文献>松岡心平「窪田統泰伝」(『国語と国文学』692号),同「窪田統泰と長源寺」(『長源寺史』),岩橋春樹「本圀寺本日蓮聖人註画賛」(『日蓮聖人註画賛』)
(相澤正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報