神社・仏閣あるいは小祠・小堂に,祈願または報謝のために,馬その他の図を描いて奉納する絵。大別して専門画家が筆をふるった扁額形式の大絵馬,名もなき市井の画家や絵馬師,奉納者自身が描いた小絵馬がある。絵馬の起源については神と馬とのかかわりあいが根源となる。日本では古くから馬は神の乗りものとして神聖視され,祈願や神祭に神の降臨を求めて生馬を献上する風があった。また一方,生馬に代わって馬形を献上する風もおこった。土馬・木馬がそれであり,馬形が簡略化されたのが板立馬である。馬形・板立馬がさらに簡略化されて板に描いた馬,すなわち絵馬があらわれた。絵馬の奉納習俗はすでに奈良時代からあって,浜松市の伊場遺跡や大和郡山市の稗田遺跡からその実物遺品が出土している。平安時代末期から鎌倉・南北朝にかけての絵馬の様相は多くの絵巻物にみられるし,実物遺品では奈良の当麻寺曼荼羅堂から発見された鎌倉時代の絵馬,奈良の秋篠寺本堂から発見された応永・長禄銘の絵馬があり,室町時代の年紀銘のある絵馬は随所に伝わっている。絵馬のはじめはいずれも馬の図で小型のものであったが,室町時代から馬以外の図があらわれ,漸次大型化してくる。それが扁額形式となり,桃山時代になると豪華なものがあらわれ,ここに絵馬をかけるための特定の建物,絵馬堂の成立をみる。現存絵馬堂で最古のものは1608年(慶長13)豊臣秀頼が造営した京都北野天満宮の絵馬堂である。そこにかけられた絵馬には当時の著名画家も健筆をふるい,絵馬堂は画廊的役割を果たした。江戸時代にはまた社会の風潮を反映して画題は多様化し,地方に普及した。一方,中世までみられた吊懸形式の民間信仰的要素を強くもった小絵馬は,名もなき庶民の間に脈々と受け継がれ現代にいたった。その画題は馬の図,神仏の像を描いた図,神仏を象徴する持物などを描いた図,神仏に縁故の深い眷属(けんぞく)などを描いた図,神仏の依代(よりしろ)・祭場・祭具などを描いた図,祈願内容を描いた図,礼拝姿を描いた図,干支を描いた図などがあり,そこには庶民の祈願の様相が具体的にあらわれている。
なお,日本の大絵馬のなかに,航海安全祈願あるいは海難救助の御礼に奉納した船絵馬がある。自分の船を画面の中央に描き,上に航海守護神である船霊様の像や金毘羅神の御幣を描いたものであるが,これと同じ図柄の奉納画がヨーロッパにもみられる。ユーゴスラビアのドブロブニクには,帆がちぎられ荒波にもまれ遭難している船の図の奉納画があるが,船の上に幼子イエスを抱いた聖母マリアの姿が光輪にかこまれて描かれてあり,マリア様の加護によって海難を免れた御礼の奉納画だという。これと同じ図柄の奉納画がヨーロッパの海洋図,とくに地中海沿岸に随所にみられるようである。
執筆者:岩井 宏実
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神仏に祈願または報賽(ほうさい)のために奉納する馬の絵を描いた額や板絵をいう。神社に神馬(しんめ)として実際に馬を捧(ささ)げることが行われていたので、その代用として絵馬を奉納するようになったという説もあるが、今日、民間信仰として社寺に奉納される絵馬はもっと広い意味をもっている。絵馬は文字どおり馬を描いたものが多いが、それ以外にいろいろな図柄のものがみられる。それを見ると、奉納者が神仏に何を願っているかがよくわかる。たとえば目を患っている者は、目の絵や「め」の字を書いた絵馬をあげる。神奈川県川崎市の影向寺(ようごうじ)のごとく、薬師を本尊とするところにこれが多くみられる。同様に歯痛に悩む者は、歯の絵の絵馬をあげる。つまり、神仏にここを治してくださいと示して祈願するのである。次に多いのは、神仏に祈願している姿を描いた絵馬である。そして絵馬には男女の性別、年齢などが書かれている。絵馬の図柄で変化のあっておもしろいのは、神仏のお使いとされている動物の絵を描いたものである。なかでも多いのは、稲荷(いなり)にあげてある狐(きつね)の絵馬である。これには、向かい合った2匹の狐を描き、その間に宝珠(ほうしゅ)の玉を描いたのがある。そのほか、三峯(みつみね)や御嶽(おんたけ)の山犬や狼(おおかみ)、天神の牛、弁天の白蛇、虚空蔵(こくうぞう)のうなぎ、毘沙門天(びしゃもんてん)の百足(むかで)、日吉(ひえ)の猿など、それぞれの信者が、神仏のお使いとされている動物の絵馬を掲げて祈願している。絵馬に見る馬は神の乗り物としての神馬だけでなく、農民にとっては耕作に使う馬に対する安全守護を願ったものがある。厩(うまや)の祭は猿曳(さるひき)が行う風があるので、猿が馬の手綱(たづな)を引いている絵馬が奉納されている。絵馬には板絵馬、小絵馬のほかに、額絵馬と称する大形のものがあり、これには著名な画家の筆になったものがある。小絵馬のように病気の回復祈願というのではなく、社寺の氏子や信者が神仏の加護を祈り、報賽としてあげたものが多い。武者絵が多くみられ、また船主が航海安全を祈って船の絵を描いたものもある。有名な社寺には額絵馬を掲げた絵馬堂が設けられている。安芸(あき)(広島県)の厳島(いつくしま)神社などは著名であり『厳島絵馬鑑(かがみ)』という書物もある。絵馬にも流行があり、最近は天神様に受験生が祈願する風が各地にみられる。
[大藤時彦]
『岩井宏実著『絵馬』(『ものと人間の文化史12』1974・法政大学出版局)』▽『河田貞編『絵馬』(『日本の美術92』1974・至文堂)』▽『岩井宏実編『絵馬秘史』(1979・NHKブックス)』▽『岩井宏実・山崎義洋著『絵馬』(保育社・カラーブックス)』
能の曲目。初番目・脇能物(わきのうもの)。観世、宝生(ほうしょう)、金剛、喜多四流現行曲。作者は金剛某。伊勢(いせ)参宮の勅使(ワキ)の前に老人夫婦(シテとツレ)が現れ、雨と晴れを祈る黒白二つの絵馬をかける節分の行事をみせ、伊勢の2柱の神の化身と明かして消える。間狂言(あいきょうげん)は打ち出の小槌(こづち)を持った蓬莱(ほうらい)の島の鬼たちの祝福。後段は天照大神(あまてらすおおみかみ)(後シテ)が、天鈿女命(あめのうずめのみこと)と手力雄命(たぢからおのみこと)を従えて、岩戸隠れの故事を再現してみせる。それぞれの特長ある舞の対比にショー的なおもしろさをねらった風変わりな脇能。後シテを男神にする流儀もある。
[増田正造]
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神社・仏閣に祈願・報謝・記念のため奉納する絵入りの額。神の乗物として神聖視された馬を献上したのにかわって,馬形や馬を描いた絵を奉納したのが起源とされる。絵馬の奉納習俗は奈良時代からあったが,室町時代頃から馬以外の図が現れ,また大型化してくる。同時に絵馬をかけるための建物である絵馬堂が出現する。多くは市井の絵師によって描かれたが,大型絵馬には著名画家のものも含まれる。図様は,奉納する神仏にちなむもの,祈願の目的による画題などさまざまである。奉納者自身が描いた小絵馬は民間信仰的要素を強くもち,合格祈願などのかたちで現在にまで及んでいる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…なお,曲中,〈越天楽を舞はうよ……〉のあとに,〈越天楽歌物(うたいもの)〉の歌が含まれる。これは,(1)の続編ともいうべき能《梅枝(うめがえ)》や《絵馬》《絃上》中にも取り入れられるほか,能から出た地歌《梅が枝》の中や,箏組歌《梅が枝》にもとられている。【平野 健次】。…
…病気祈禱ではその原因になっている霊の種類を占い,オッパライと称してそれを祓うことが行われる。猫・蛇・馬などが複雑に描かれた津軽地方独特の小絵馬はこのためのもので,イタコ絵馬と称されている。おしら信仰【佐野 賢治】。…
…このため神社に生馬を奉納して飼養し,またその代用に木馬を神前に納め,祭儀に馬をひいて奉仕するといった習俗が広く認められる。生馬や木馬を奉納できぬ階層が板絵を額として納めたのが絵馬の起源であるとの説もある。また,馬の行動を神意の現れと判断することから,馬を競走させて年の農作や戦い,その他の吉凶を占う競馬(くらべうま)の風も,各地の習俗行事に見られたところであった。…
…〈じんめ〉とも読み,神駒(かみのこま)ともいう。いわゆる〈絵馬〉は,神馬の形を額に描いて奉納する略儀から生まれた。また,木石で彫刻したものを献ずる場合もある。…
※「絵馬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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