立保村(読み)たちぼむら

日本歴史地名大系 「立保村」の解説

立保村
たちぼむら

[現在地名]沼津市西浦立保にしうらたちぼ

平沢ひらさわ村の西にある。北は海(内浦湾)に面し、南流する立保川が注ぐ。西は古宇こう村、南は戸田へだ(現戸田村)。応安七年(一三七四)一一月一四日の足利義満御判御教書(浄光明寺文書)に「浄光明寺慈光院領伊豆国三津庄内平沢・立保・葦保・久料四ケ村」とあり、当地を含む三津みと庄四ヵ村が鎌倉浄光明じようこうみよう慈光じこう院に安堵されている。江戸時代は初め幕府領、享保一三年(一七二八)陸奥棚倉藩領となる。天明年間(一七八一―八九)旗本進領となり、同領で幕末を迎えた(延享四年「内浦組村々知行高附書上帳」豆州内浦漁民史料、「韮山町史」など)。天正一八年(一五九〇)伊奈忠次による検地高は京高で一五石余(年未詳「大橋海老助宛代官割状」大川家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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