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伊奈忠次 いなただつぐ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊奈忠次
いなただつぐ

[生]天文19(1550).三河
[没]慶長15(1610).6.13. 江戸
江戸時代初期の幕臣農政家。通称熊蔵,三河国小島村の人。最初徳川家康の長子信康に仕え,次いで家康近習。のち小田原北条氏征伐に際し駿河,遠江,三河諸国の道路,富士川の工事の監督,兵糧の運送など兵站を担当して功を立てた。家康の関東入部について武蔵小室,鴻巣1万石を領し,関ヶ原の合戦では武蔵国内の諸関所を警備,功あって備前守,関東郡代となり甲州代官を兼ねた。関東平野の開発,水利土木工事の実施をはじめ,広く農政全般にわたって幕府の基礎を固めた。また伊奈流と称する農政上の施策方式を編出し,その6尺を1歩とする制は江戸時代土地丈量法の基準となった。

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デジタル大辞泉の解説

いな‐ただつぐ【伊奈忠次】

[1550~1610]江戸初期の幕臣。通称、熊蔵。徳川家康の近習として、検地治水新田開発などに敏腕を振るう。初代関東郡代。

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百科事典マイペディアの解説

伊奈忠次【いなただつぐ】

江戸時代初期の代官頭。備前守,通称熊蔵(くまぞう)。徳川家康に仕え,はじめ徳川氏領国の地方(じかた)支配に活躍。家康の関東入国後は武蔵国足立(あだち)郡小室(こむろ)に陣屋を構え,利根川荒川の改修,関東・東海地方の検地備前検地・熊蔵縄)などを指揮した。
→関連項目大久保長安関東郡代栗橋関備前渠

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊奈忠次 いな-ただつぐ

1550-1610 戦国-江戸時代前期の武士,大名。
天文(てんぶん)19年生まれ。徳川家康につかえ,天正(てんしょう)18年家康の関東入国後,代官頭(関東郡代の前身)となり,武蔵(むさし)小室(こむろ),鴻巣(こうのす)(埼玉県)に1万石をあたえられる。関東を中心に各地で検地,新田開発,河川改修などをおこない,その検地法は伊奈流,備前検地などとよばれた。のち小室藩主伊奈家初代となる。慶長15年6月13日死去。61歳。三河(愛知県)出身。通称は熊蔵。備前守。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊奈忠次

没年:慶長15.6.13(1610.8.1)
生年:天文19(1550)
江戸初期の代官頭(関東郡代の前身)。通称は熊蔵。備前守。忠家の長男として三河国幡豆郡小嶋(愛知県西尾市)に生まれる。徳川家康の近習となり,5カ国領有時代の徳川領国の農政に尽力した。天正18(1590)年の小田原城攻撃では,道路や河川の普請,兵糧の管理などを担当。その後徳川氏の関東移封の際,代官頭となり,家康に「関八州を己の物のごとく大切に致すべし」といわれたとの逸話が残るほどの厚い信頼を得た。武蔵国鴻巣・小室領で1万石の知行を与えられ,足立郡小室に陣屋を構え,関東各地のほか三河,遠江,駿河地域まで支配を行った。支配地は100万石をこえ,各地で検地,知行割,河川改修,新田開発なども担当。その地方支配の方法は,備前検地,備前堀,伊奈流などと呼ばれ,享保改革期まで,幕府の中心的な位置を占めた。

(大石学)

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世界大百科事典 第2版の解説

いなただつぐ【伊奈忠次】

1550‐1610(天文19‐慶長15)
江戸初期の代官頭,地方巧者(じかたこうしや)。通称熊蔵。伊奈忠家の長男として三河国小島城(愛知県西尾市)に生まれ,徳川家康に仕えたが,一時,堺へ出奔し1582年(天正10)に復帰。86年近習となる。89‐90年徳川氏の五ヵ国領国支配において検地・知行・年貢制度の改革に活躍。関東入国後は,武蔵国北足立郡小室(埼玉県北足立郡伊奈町)に陣屋を構え,利根川・荒川の改修,検地・知行割,新田開発,寺社政策など,関東領国の財政基盤の確立に寄与した。

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大辞林 第三版の解説

いなただつぐ【伊奈忠次】

1550~1610) 江戸初期の幕臣。三河の人。初代関東郡代。幕府草創期の代表的民政家で、治水・灌漑事業に尽力。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊奈忠次
いなただつぐ
(1550―1610)

徳川家康の家臣、関東代官頭(がしら)。三河国幡豆(はず)郡小島(おじま)(愛知県西尾市)に生まれる。初め熊蔵家次(くまぞういえつぐ)と称したが、のち忠次と改める。1582年(天正10)家康の小姓衆(こしょうしゅう)小栗吉忠(おぐりよしただ)の与力(よりき)として泉州(大阪府)堺(さかい)から三河に移る。86年家康の近習衆に登用され、駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、甲斐(かい)などの地に発せられた郷村定書や寺領の寄進、家康御家人(ごけにん)の知行宛行(ちぎょうあてがい)などを奉行(ぶぎょう)する。90年豊臣(とよとみ)秀吉の小田原攻めにあたっては、道路や舟橋の普請を奉行し兵粮(ひょうろう)輸送の任にあたった。同年8月武蔵(むさし)国小室(こむろ)、鴻巣(こうのす)1万石を領知、関東代官頭として家康蔵入地(くらいりち)のうち100万石の地を支配、検地の施行、新田の開発、河川の修治、用水路の開発、近世行政村落の造成など、関東の民政、農政に多大な功績を残した。このほか寺社領の寄進、家康御家人の知行宛行、交通の整備、関所の取締りなども奉行した。99年(慶長4)従(じゅ)五位下備前守(びぜんのかみ)に叙任、翌1600年の関ヶ原の戦いには小荷駄(こにだ)奉行を務めた。また、01年から02年にかけての五街道宿駅制度の施行には筆頭奉行を務め、伝馬(てんま)制度の基礎を築いた。05年家康の側近として駿府(すんぷ)勤番を命ぜられたが、その後も関東諸地域をはじめ遠江、三河などの地の河川修治や民政、農政に活躍した。慶長(けいちょう)15年6月13日病没、鴻巣勝願寺(しょうがんじ)に葬られる。
 忠次の業績は、土地と人民を私有する土豪層を基盤とした北条氏の中世的な支配形態を解体し、徳川氏が土地、人民を直接掌握する近世的支配形態に変えた地方巧者(じかたこうしゃ)の第一人者として評価できる。江戸幕府地方支配の基礎を築いた功労者といえよう。[本間清利]
『本間清利著『関東郡代』(1977・埼玉新聞社)』

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世界大百科事典内の伊奈忠次の言及

【大宮[市]】より

…江戸から7里16町。近世初頭の中山道は氷川参道を通っていたが,1628年伊奈忠次の指揮で一の鳥居から北方へまっすぐに原野を開削し,両側を地割りして,氷川参道の百姓42軒を移転させ,翌29年検地して6万4313坪余の地子免をもって50人50疋の伝馬役を負担させた。68年(寛文8)大成村ほか7ヵ村,高2300石を定助郷村に指定,江戸後期には31ヵ村,高1万1827石に拡大された。…

【代官頭】より

…江戸初期の関東領国支配の中心であった有力な大代官の呼称。一般に三河譜代の伊奈忠次(備前守),武田旧臣の大久保長安(石見守),今川旧臣の彦坂元正,長谷川長綱らの有力な地方巧者(じかたこうしや)をいう。彼らは1590年(天正18)関東入国以前から検地や給人知行を担当したが,入国以後は徳川家康の側近グループの一翼となり,幕政に参画しながら代官,手代を指揮して地方行政を実施した。…

【備前渠】より

…1604年(慶長9)代官頭伊奈備前守忠次が開削した武蔵国北部(現,埼玉県)の農業用水で,利根川と烏川の合流地右岸から取水されている。烏川に設けた取入口から堀を小山川に結び,さらに分水東流させ弥藤吾村(現,大里郡妻沼町)で福川に合流,幡羅郡と深谷領諸村の灌漑用水源となった。下流では北河原用水,東方用水などに利用され,59年(万治2)に改修,用水周辺諸村による各堰の分担も確立した。1767年(明和4)洪水で烏川の流路が激変したため,仁手(につて)村(現,本庄市)で新規に500間堀を開削したが,83年(天明3)の浅間山の噴火で利根川が決壊し,烏川との合流地が三友村(現,本庄市)に移動し,取水口周辺は利根川の逆水で被害が生じた。…

【備前検地】より

…徳川氏の代官頭伊奈備前守忠次が実施した検地の呼称で,その仕法を伊奈流,熊蔵縄ともいう。伊奈忠次の検地は1590年(天正18)伊豆国の総検地が最初であるが,その後のおもな検地は91年武蔵国,94年(文禄3)相模国,1603‐04年(慶長8‐9)遠江国・駿河国・相模国総検地,08年尾張国総検地である。忠次の検地仕法の一つに一郷一寺以外の除地を認めず,また年貢の徴収は定免(じようめん)制という例がある。…

※「伊奈忠次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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