日本大百科全書(ニッポニカ) 「豆州内浦漁民史料」の意味・わかりやすい解説
豆州内浦漁民史料
ずしゅううちうらぎょみんしりょう
渋沢(しぶさわ)敬三編著の史料集。上巻、中巻(1、2)、下巻の4冊。豆州内浦とは、静岡県田方(たがた)郡内浦村にあった重寺(しげでら)、小海(こうみ)、三津(みと)、長浜(ながはま)、重須(おもす)の旧5か村と、同郡西浦村木負(きしょう)(旧木負村)の計6か村(ともに現沼津市)で、当地に伝わる「漁業史料を中心とした常民古文書」を整理編纂(へんさん)した、漁村・漁業・漁民にかかわる画期的な史料集である。海の生物学や海村の社会経済史に興味を抱き続けた渋沢が、沼津滞在中に知遇を得た内浦村長浜の津元(つもと)大川四郎左衛門家所蔵の1518年(永正15)から明治初期に至る古文書を中心に、前記の各村々に伝わる古文書とをあわせ、年号分明の分、年号不明の分、往復文書類、手記類、薬園関係文書、帳面類、雑文書および朝鮮使関係文書等々に分類し、さらに補遺、参考篇(へん)、語彙(ごい)篇、図版などを付したものである。まず「アチック・ミューゼアム彙報(いほう)」として発表、その後これを3巻4冊にまとめ、1937~39年(昭和12~14)にアチック・ミューゼアムより刊行した。収録文書数は合計1955点に上る。
史料の特色は、(1)北条早雲(ほうじょうそううん)の晩年に始まる後北条(ごほうじょう)氏発給の中世文書が含まれ、後北条氏の領国経営の展開を知るうえで注目されること、(2)近世、内浦湾に展開する漁業や漁労、とりわけ網度(あんど)組織(津元と網子(あんご)により構成)の展開と発達がみられること、(3)当地の漁業の発展は、この地が江戸の地回り経済圏に組み入れられていく過程と深くかかわっており、江戸の繁栄と駿河(するが)湾漁業の発展との関係を理解するうえで貴重な示唆を与えること、などである。
[若林淳之]