立入村(読み)たていりむら

日本歴史地名大系 「立入村」の解説

立入村
たていりむら

[現在地名]守山市立入町

吉身よしみ村の南東に位置。東辺を北流する野洲やす川を境に三上みかみ(現野洲郡野洲町)と対する。中世末以降禁裏上御倉職を勤めた京都の町人立入家は当地の出身という。永禄五年(一五六二)以降同職にあった立入宗継織田信長と摂津石山本願寺との仲介などに動いた。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に「四百八拾石四斗壱升 立入」とある。寛永石高帳によれば高二二八石余で、旗本渡辺領。慶安三年(一六五〇)以降は旗本渡辺進家と同渡辺均家が折半して伝え幕末に至る。慶安高辻帳によれば田一九九石余・畑二九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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