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立入宗継 たてりそうけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

立入宗継
たてりそうけい

[生]享禄1(1528)
[没]元和8(1622)
安土桃山時代の禁裏御倉職,金融業者。近江国野洲郡立入の出身と伝えられる。当時新興の織田信長に取入り,元亀2 (1571) 年信長が宮廷経済の建直しを目的として創設した京都の貸米制度の管理にあたった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

立入宗継 たてり-むねつぐ

1528-1622 戦国-織豊時代の商人。
大永(だいえい)8年1月5日生まれ。立入宗長(むねなが)の子。京都で土倉(どそう)(金融業)をいとなむ。禁裏御倉職(きんりみくらしき)(財政担当)もつとめ,正親町(おおぎまち)天皇の使者として織田信長をたずね,その京都入りをうながす。天正(てんしょう)6年信長と石山本願寺の和睦(わぼく)を斡旋(あつせん)。見聞をまとめた「立入宗継記」がある。元和(げんな)8年9月26日死去。95歳。号は隆佐。

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朝日日本歴史人物事典の解説

立入宗継

没年:元和8.9.26(1622.10.30)
生年:享禄1.1.5(1528.1.26)
戦国・安土桃山時代の商人。隆佐と号す。永禄5(1562)年禁裏御倉職に補任され,天皇家の家産を司る。同10年織田信長のもとに使して正親町天皇の綸旨を伝え,その入京を促した。宗継の筆になる『立入宗継記』は,天皇と信長の折衝を中心に信長時代の朝廷の動静を伝える重要史料。

(今谷明)

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世界大百科事典 第2版の解説

たてりそうけい【立入宗継】

1528‐1622(享禄1‐元和8)
安土桃山時代の京都の町衆。名は与介。禁裏御倉立入氏の出で,内裏近辺の橘辻子(ずし)で土倉を営む。1562年(永禄5)兄与次を追って禁裏御倉職の地位を確保し,立入家嫡流となる。68年の織田信長入京にあたり禁裏の使者として下工作を行い,71年(元亀2)皇室財政立直しを企図して信長が新設した御貸米制度を管理し,また78年(天正6)には信長と石山本願寺の和睦を斡旋した。【高橋 康夫】

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大辞林 第三版の解説

たちいりむねつぐ【立入宗継】

たていりむねつぐ【立入宗継】

たてりそうけい【立入宗継】

1528~1622) 安土桃山時代の京都の商人。近江国野洲郡立入の出身。織田信長の命により皇室経済の復興にあたり、信長と石山本願寺との和睦を斡旋。たていりむねつぐ。

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