精選版 日本国語大辞典 「野洲川」の意味・読み・例文・類語
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鈴鹿山脈に源を発してほぼ西流し、琵琶湖に注ぐ滋賀県最大の一級河川。流路延長約六五キロ。甲賀郡内上流部では
現在の流路は三重県境
当川の名が初めて歴史上にあらわれるのは壬申の乱の時で、天武天皇元年(六七二)七月一三日、
甲賀郡内での当川の古称として甲賀川があり、「延喜式」斎宮寮では斎王群行の途次「御禊」「鎮祓」を行うと規定される六ヵ所の堺川のうちに甲賀川が記される。
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滋賀県南東部を流れる川。一級河川。鈴鹿(すずか)山脈の御在所山(ございしょやま)に源を発してほぼ北西流し、守山市で琵琶湖(びわこ)に注ぐ。延長65キロメートル、流域面積387平方キロメートル、淀(よど)川水系琵琶湖流域の約10%の地域を潤す県下最大の河川。中流域には段丘が発達し、下流域には広大な扇状地性三角州が形成される。古くは安河とも書いた。下流部は顕著な天井川をなし、古来たびたび水害に悩まされてきた。1951年(昭和26)に上流の土山(つちやま)町(現、甲賀(こうか)市土山町)に野洲川ダムが完成したがその後も水害は多発し、1986年、湖岸約5キロメートルの北流と南流の天井川を廃して、その中間に人工的平地河川をつくる事業が完成した。筑後(ちくご)川、旭(あさひ)川と並ぶ三大河川事業の一つといわれる。新川掘削工事の際に守山市で発見された服部(はっとり)遺跡は、弥生(やよい)から平安期に及ぶ大集落遺跡。
[高橋誠一]
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…それは必ずしも零細なものでなく,古代社会では,妻訪(つまどい)の旅の途次の景行天皇から渡し賃を取った摂津国高瀬済の度子(わたしもり)の説話が伝えられている(《播磨国風土記》)。また平安時代中期,近江国野洲(やす)川河口付近に居住して近辺の荘園の請作も行った修理職の寄人集団が,〈雨ふれば船よりぞ行くやす(野洲)川のやすく渡りし瀬をばたどりて〉(《夫木和歌抄》)と歌われた野洲渡の渡し守をも兼業していたという(寛治7年(1093)8月21日の太政官符案)。鎌倉時代,加賀国宮腰(みやのこし)宿付近の渡船場の権利をめぐって川辺の住人と宿の住人が相論し(《一遍聖絵》第5巻),江戸時代には武蔵国多摩川の六郷渡,丸子渡の利権をめぐって,地元と江戸町人などの渡船場請負人が競合したように(《川崎誌考》),交通量の多い渡船場の経営は一定度の利権・雑収入をもたらすものとして競望されることもあったのである。…
※「野洲川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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