日本歴史地名大系 「立切地下式横穴墓群」の解説 立切地下式横穴墓群たちぎりちかしきよこあなぼぐん 宮崎県:西諸県郡高原町後川内村立切地下式横穴墓群[現在地名]高原町後川内 立切古墳時代後期、五世紀後半―六世紀前半頃に造営されたと推定される地下式横穴墓群。炭床(すんとこ)川の左岸に位置する段丘の西向きの緩斜面上に立地している。西南西約二・七キロには日守(ひもり)、西北西約四・五キロには湯(ゆ)ノ崎(さき)の各地下式横穴墓群がある。発掘調査は昭和六二年(一九八七)と同六三年の二次にわたって行われ、地下式横穴墓七二基と土坑二基、祭祀土器群二ヵ所が検出されている。地下式横穴墓はいずれも平入りであり、三七号のみ竪坑上部の板閉塞、他はすべて河原石や板石、板などによる羨門閉塞である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by