高原町(読み)たかはるちよう

日本歴史地名大系 「高原町」の解説

高原町
たかはるちよう

面積:八五・四四平方キロ(境界未定)

西諸県郡の南西端に位置し、北東は野尻のじり町、南東から南は北諸県郡高崎たかざき町・山田やまだ町と都城市、南西は鹿児島県姶良あいら霧島きりしま町、西から北西は小林市に接する。町域は東西約一八キロ・南北約一〇キロであるが、中央部がくびれるやや複雑な地形をしている。西部は国立公園霧島山系の高千穂峰(一五七四メートル)の東麓の裾野に広がる台地となっている。霧島山系を水源とする高崎川などが西部を、東部を炭床すんとこ川が西から東へ流れ、北端を東流する辻の堂つじのどう川は岩瀬いわせ川に合流してさらに西から東に流れる。これらの河川により農業地帯が形成されている。主要道路は、北西から南東に走る国道二二一号、同道から分岐して南下する国道二二三号、中心部をほぼ東西に横切る九州縦貫自動車道宮崎線などがあり、同道高原インターチェンジが設けられている。都城市と鹿児島県吉松よしまつ町とを結ぶJR吉都線が通る。

縄文時代後期の遺跡には広原ひろわら高原畜産高校たかはるちくさんこうこう遺跡と大谷おおたに遺跡があり、遺物は土器とわずかな石器を含む。高原畜産高校遺跡は弥生時代中期の遺跡でもあり、完全な甕形土器が出土した。古墳時代の遺跡には蒲牟田かまむた皇子原おうじばる古墳群、西麓にしふもとさき地下式横穴墓、広原の旭台あさひだい地下式横穴墓群、後川内うしろかわうちなどの日守ひもり仮屋尾かりやお地下式横穴墓群と立切たちぎり地下式横穴墓群がある。皇子原古墳群の円墳六基は高原町古墳として昭和一九年(一九四四)県指定史跡となっている。湯ノ崎地下式横穴墓からは被葬者の人骨四体分と鉄鏃・・刀子などの副葬品が、また西麓の立山たてやま遺跡からは三〇軒の住居跡が確認された。天孫降臨の神話伝説の地、高千穂峰の裾野に広がる町域には、神武天皇誕生地や皇居跡の伝承地があり、高原町の名称は高天原の略称とも伝えられる(三国名勝図会)律令制度のもとで諸県郡に属し、「和名抄」記載の同郡春野はるの郷を当町域に比定する説がある。霧島権現六社のうちの二社、霧島東御在所両所きりしまひがしございしよりようしよ権現社(現霧島東神社)狭野さの大権現社(現狭野神社)があり、性空の創建もしくは再興と伝える二社の別当寺、東光坊錫杖しやくじよう院と神徳しんとく(ともに廃絶)があった。南端の池には護摩壇跡もみられ、いずれも深く信仰された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高原町」の意味・わかりやすい解説

高原〔町〕
たかはる

宮崎県南西部,霧島山の東麓にある町。1934年町制。中心集落の西麓(にしふもと)は古くから高原城の城下町として発達。江戸時代は薩摩藩領。主産業は農業で,米,野菜を産する。また,霧島山麓の高原一帯は集約酪農地域で,県立の畜産試験場もあり畜産も発達。高天原神話にゆかりの地で,狭野神社や神武天皇誕生の地とされる皇子原(おうじばる)などの伝承地がある。西部は霧島錦江湾国立公園に属する霧島山への登山口。狭野のスギ並木,狭野神社のブッポウソウ繁殖地はともに国の天然記念物。JR吉都線,国道221号線,223号線が通じ,宮崎自動車道のインターチェンジがある。面積 85.39km2(境界未定)。人口 8639(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「高原町」の解説

高原町

(宮崎県西諸県郡高原町)
日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
宮崎県高原町は、宮崎県の西南に位置し、面積は85.4k【m2】で山林が50%を占める。1934(昭和9)年国内初の国立公園に指定された霧島火山群がある。霧島連山の主峰・高千穂峰は天孫降臨の地として数多くの神話伝説が残る

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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