竜助町(読み)りゆうすけちよう

日本歴史地名大系 「竜助町」の解説

竜助町
りゆうすけちよう

[現在地名]小松市竜助町

東は三日市みつかいち町・八日市ようかいち町、西は大文字だいもんじ町に挟まれた南北通りで、北陸街道でもある。南は鉤形に折れて猫橋ねこばし本折もとおり町に続く。北は西にし町に続く。長さ五町一九間四尺・幅三間(皇国地誌)。北陸街道沿いのため、初めはとおり町とよばれ、猫橋近くは五の日の定期市があったため五日市いつかいち町といい、その北を二十間にじつけん町といったという。天正一三年(一五八五)佐々成政征伐の際、醤油製造業を営んでいた和泉屋竜助が、豊臣秀吉の家臣加藤嘉明の使としてよくその使命を果した功績により、小松城主村上義明からその名を町名とすることを許されたと伝える(小松市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報