日本歴史地名大系 「竜腹寺村」の解説 竜腹寺村りゆうふくじむら 千葉県:印旛郡本埜村竜腹寺村[現在地名]本埜村竜腹寺角田(つのだ)村の北西にあり、台地上に集落と畑地が広がり、低地の谷津田で水田を耕す。西は印西(いんざい)牧があった草深(そうふけ)野(現印西市)。地内の北はずれに数基の小古墳があるが、往古は大同二年(八〇七)創建と伝える天台宗竜腹寺を中心として栄え、阿弥陀坊(あみだぼう)・大坊寺(だいぼうじ)・経田(きようでん)・日輪坊(にちりんぼう)・塔の下(とうのした)・中坊(なかぼう)・念仏田(ねんぶつでん)などの地名が残る。竜腹寺の地蔵堂境内の南北朝期作と推定される梵鐘銘に「大日本国関東下総印西荘竜腹寺」とみえ、印西庄に含まれていたことが知られる。慶長七年(一六〇二)七月の印判郡印西庄竜腹寺水帳(海老原家文書)が伝有され、周辺の村々と同じく、関東総奉行青山忠成と代官頭大久保長安を検地惣奉行として臼井藩領や幕府領を対象としており、当村は初め臼井藩領であったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by