朝日日本歴史人物事典 「竹内貞基」の解説
竹内貞基
生年:文化10(1813)
幕末の航海技術者。通称は卯吉郎,清潭と号す。竹内良太夫の次男。初め山本氏を称し,のち竹内家を継ぐ。高島秋帆 に砲術,村井正澄に剣術,竹迫柔助に柔術を学び,すべて皆伝を得た。16歳のとき,船番役を命ぜられ長崎奉行所直属の役人になる。安政1(1854)年出島でオランダ人より蒸気船運用法,反射炉使用法を学ぶ。その後佐賀藩で航海術を教授し,鍋島直正の依頼で,わが国最初の木製機関雛形を造る。長崎伝習でも航海術を学ぶ。同4年観光丸で江戸へ行き海軍操練所教授となり,翌年同艦運用長に任ぜられた。日本人による蒸気船運用の始まりといわれる。前島密,佐野常民らは門下生。著書に『航海術』数十巻がある。<参考文献>長崎市役所編『幕府時代の長崎』
(武野要子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報