翻訳|navigation
船を地球上の一地点から目的とする他の一地点へ、安全かつ能率的に航行させる技術。学問的に体系づけた場合は航海学とよんでいるが、技術に重点を置く場合には「術」の呼び方をしている。航海術の第一の要点は「地球上の一地点」である自船の位置を確認する技術、第二には「目的とする他の一地点」への能率的な移動の方法を求める技術である。つまり、自船が地球上のどこにいるかをなんらかの方法で確認し、そこから目的とする地点へ航海するための針路や距離を求める技術である。しかし、この技術の確立までには長い歴史が必要だった。そして航海術を裏づける学問も、数理、地文、天文、暦法などから、電波や電子工学にまで及んでいる。さらに安全と能率の要求に関連しては、操船、運用、気象、海象、造船、造機をはじめ、計測、自動制御、情報処理までが必要になった。なお、この項目では航海技術・航海計器の発達を中心に記述する。航海そのものの変遷・発展過程については「船」「大航海時代」の項目を参照されたい。
[茂在寅男]
人類が海に乗り出した初めは、陸岸の山などが見える範囲内だけを航海する沿岸航法の初歩の技術だけに限られていた。しかし、陸を見失わなければ遠距離の航海もできた。紀元前16世紀ごろのエジプトのハトシェプスト女王の船は、現在のソマリアあたりといわれるプントにまで航海をしたことが神殿の壁画によって知られる。またヘロドトスの著書『歴史』によれば、前7世紀のファラオ、ネコの時代に、フェニキア人がアフリカを一周したとしてある。コンパスも海図ももたない初期の航海者は陸を見失うことを恐れた。陸を見失った場合には、用意した陸の鳥を放し、空高く舞い上がって陸を発見し陸に向かう鳥を追って帰ることができた。インドのマウリヤ王朝(前317ころ~前180ころ)時代の記録にもみえるし、日本でも古墳壁画の鳥や『古事記』の天の鳥船の神話などがこの鳥に関係があるとする学説もある。やがて、動かない雲の下に島があることが知られるようになった。島が太陽に熱せられて上昇気流が生じ、山頂より上部に笠雲(かさぐも)が発生するからである。夜は星で方向を知った。ホメロスは『オデュッセイア』(前8世紀末ごろ)のなかで明確に星を利用したことを記している。
[茂在寅男]
磁石で方位を知ることが発見されたのは中国の北宋(そう)(960~1127)で、11~12世紀には航海に使用されていた。12世紀の末にはアラビアを経てヨーロッパに伝わり、イタリアのアマルフィの船乗りフラビオ・ジョヤFlavio Giojaによって1302年に航海用の改良型がつくられた。このコンパスも船内の鉄器によって誤差(自差)を生じる欠点があったが、1873年イギリスのウィリアム・トムソン(ロード・ケルビン)によって、誤差が修正される近代型に改良される。さらに1905年イギリスのチェトウィンドChetwyndが、液体の中に収めて船の振動に対して安定性のあるコンパスを完成した。
しかし、磁気コンパスは、自差を修正しても、地磁気の極と地軸方向の違いから偏差を生じる。磁気にまったく関係なく、地球の自転に感応して地軸の水平方向を指し示すジャイロコンパスが発明されるのは、1908年にドイツのアンシュッツHermann Anschütz(1846―1931)によって特許が取られたときといえる。時を同じくして09年にはアメリカのスペリーが第1号の試作機ジャイロコンパスを完成させた。ジャイロコンパスの出現は単に方位の探知だけでなく、船舶の自動操舵(そうだ)を可能にするオートパイロットへと発展した。それが実用化されるのは1920年であった。さらにジャイロの利用は船の動揺防止装置、慣性誘導装置と応用分野を広げ、ついには船外からの情報を得ずに自蔵装置だけで力学的に移動する船の位置を連続して正確に示すSINS(ship's inertial navigation systemの略、船舶慣性航法装置)の出現をみた。SINSは長時間潜水して航行する潜水艦などにとくに利便を与えている。
[茂在寅男]
地球上の一地点から他の一地点への移動には、方位だけでなく、移動の距離、すなわち航程の計測が必要である。航程は船の速力と経過時間によって知ることができる。速力を測るのに、最初は、船内から木片を海中に投じ、船尾へ流れてゆく時間によって計測した。現在でも船の速力計をログとよぶのは木片を意味する英語logに由来する。1570年ごろからハンドログ(手用測程器)が使われだした。凧(たこ)のような形の小木片に紐(ひも)をつけて船尾から海中に投じ、砂時計の一定時間内にどれだけ紐が繰り出されたかで速力を知る方法である。1802年には、船尾から出した紐の先端にプロペラ状のローテーターを取り付け、その回転数を紐を介して船内の回転計に伝えて航程と速力を知る曳航式測程器(えいこうしきそくていき)が考案され、1924年にスウェーデンで流圧式測程器が完成するまで使用される。流圧式測程器の原理は、1728年にフランスのピトーHenri Pitot(1695―1771)が発見した「流圧は流速の自乗に比例する」というピトー原理(ピトー管)、1849年にダーシーが考案した船の喫水の変化による水圧変化を消去する静圧管の組合せである。1960年代になると、電磁極間を流れる流体によって生じる電圧で速力を測定する電磁ログが出現し、ほとんどがこの方式になった。
[茂在寅男]
航海の安全のために海の深さを測るには、古代から長い間、紐の先におもりをつけた手用測深器に頼っていた。1872年イギリスのトムソン(ケルビン)が、水圧によって水深を測る装置を完成して測深法は機械化された。さらに1923年フランスのランジュバンが音響測深機を発明し、現在は各種の改良型が使用されている。
[茂在寅男]
航海者は古代から水平線と北極星の仰角を測定して自船の位置の南北の度合いを知った。初期には、伸ばした手先の指を広げておおよその角度を測っていたが、前150年ごろにはヒッパルコスによって天文観測用の測角器、アストロラーベが発明された。アストロラーベはドイツのベハイムによって航海用に改造された。その後には、その円を四分したような形の測角器、コードラントに発展したが、どちらも重すぎて使いにくかった。それ以前、1342年にユダヤ人ゲルソンGersonが発明した「ヤコブの杖(つえ)」とよばれるクロス・スタッフのほうは軽く扱いやすかった。これは、長い棒に滑動する十文字の木片が取り付けられている。棒の一端を目のところに置き、十文字の下端を水平線、上端を目標の天体にあわせて、棒上の十文字の位置を目盛りで読めば、そのときの天体の高度を知ることができる。円を八分した形の新八分儀がイギリスのハドレーJohn Hadley(1682―1744)によって1731年に発明されると、測角にはほとんど新八分儀が使われるようになり、1757年にはイギリスのキャンベルCampbellによって六分儀に改良されて今日に至っている。
[茂在寅男]
移動している天体によって船位を求めるには、天測の正確な時刻がわかっていなければならない。とくに経度を求めるためには正確な時刻が必要である。イギリスのハリソンが天測用の正確な時計、クロノメーターを発明したのは1761年のことである。太平洋上の島々の正確な位置が確認されたのは、このクロノメーターをもって調査したクックの航海以後であった。
[茂在寅男]
航海術は新計器の出現ごとに発達してきた。コンパスの出現、測程器の発達によって、沿岸航海から地文航海へと技術は進んだ。出発点が確認されてさえいれば、針路と航程によってその後の船位を求めることができるようになった。しかし、この船位は、潮海流や風による船の流れによって不正確であった。その一方、航海暦が整備され、六分儀やクロノメーターが発明されると、天測によって正確な船位を求める天文航法が可能になった。
天候によってしばしば実施が困難になる天文航法の欠点を解決したのが電波航法である。1920年ラウンドによって、小型ループアンテナ利用の無線方位測程器が発明され、電波が到来する方位測定から船位が求められるようになった。1940年ごろから、ジー、ロラン、デッカなどの双曲線航法が相次いで出現した。使用する電波の周波数、有効距離などは異なるが、数学上の「2点からの距離の差が一定になる点の軌跡は、その2点を焦点とする双曲線である」という原理の応用である点は、みな同じである。陸上に設置した二つの送信局からの電波を船が受信し、両局からの電波の到達時間差を測定して、両局を焦点とする双曲線の一部である位置の線を求め、同じ手順で求めた別の双曲線との交点が自船の船位となる。
有効距離は、無線方位測程器が約150海里(1海里=1852メートル)以下、デッカが350海里以下、ロランAが昼間750海里、夜間1500海里以下、ロランCが2800海里以下である。1957年ごろから現れたオメガ方式は有効範囲7000海里に及び、わずか8局で全地球表面を覆う方式で、1974年に整備された。さらに、1970年代からは、人工衛星を利用する双曲線航法のNNSS方式(アメリカ海軍航海衛星方式)が商船用にも普及して、オメガと利用度を競い合った。
前記のアメリカ海軍用として用いられていた航海衛星利用の航法システムのなかで、軍用としてしだいに改良が加えられたものにGPS(global positioning system=全地球測位システム)がある。このGPSが民間にも許可された時点から、急速に商船用として普及し、同時に商船でも航空機においてもその航法は形態を一変させたといえよう。
その形態の変化について概説すれば、昔からの天文航法は、天体からの光を利用して測角方式で船位を求めたのに対し、ロランAとかロランCあるいはデッカやオメガ等の電波航法方式は、複数の地上基点から発する電波を利用して測距し双曲線方式で船位を求めた。この点でGPSのような航海衛星利用の方式は、前記の両方式を結合したものといえよう。すなわち、まずこのための人工衛星を必要な数だけ打ち上げて、それぞれを基点としてそこから発信する電波を地球上で受信して、双曲線航法を自動的に実施して船位を求めるのである。
GPSの場合、衛星の高度を2万キロメートルとし、周期を12時間とした衛星18個をもって構成されていて全世界のどこでも位置の測定ができるが、船位測定の精度をあげるための改良型としてのDGPS(deferential global positioning system)の場合は、GPSに加えて陸上基地からの電波も結合させて精度をあげているのである。最初は軍用目的の都合もあってGPSの精度を100メートル以内にとどめていたが、現在は船舶のみならず航空機にも、さらには乗用車のカーナビcar navigation(自動車経路誘導システム)などにまで使用されるようになった。測位精度も大体GPSの100分の1程度まで精密になり、しかも装置はきわめて小型の受信器でも可能で、その有効度も高く便利になったため、アメリカの場合など、在来の電波航法装置の75%は、2013年までに運用を終了する計画であるという。
新型の電波航法機器には、前記のほか、発達の途上において多くのものが存在したが、その本流は概略前記の路線であったといえよう。
また、第二次世界大戦中から発達したレーダーは、方位測定、距離測定にきわめて有効で、見張り用以外に、航海術上も重要な役割を果たしている。コンピュータの発達により航海術計算の大部分が自動化され、最適航路選定、避航操船などまでが自動的に行われているのが現況である。
この点、21世紀に入ってからのAIS(automatic identification system=船舶自動識別装置)の出現等を無視することはできない。もちろん、船舶航行には安全を期するために見張り用としてレーダーが使用され、その使用段階において映像上に、安全な航海に必要な追加映像を映し示すための、各種の電波標識が、岬や浮標上等の基点に設置される方式で次々と現れたことにも注目すべきである。これも前記のロランCやDGPS等とともに、日本では海上保安庁の業務の一つであるが、「マイクロ波標識」とよばれているものが使用されてきた。そのなかには「航行の障害となる場所や、確認を必要とする場所、または航路上の著名なブイ(灯浮標)等に設置され、航行中の船舶のレーダー映像面上に、その位置が特定できるようにマークを表示できるレーダービーコン」や、「航行の目標となる著名な岬等に設置され、航行中の船舶のレーダー映像上に、その場所の方向が表示されるレーマークビーコン」等があり、いずれも有効に現在も活用されている。その他「中波無線標識」もあり、これは近距離(110海里以内)のサービスながら、無線標識とあわせて気象情報送信等も行われており、さらには、空港において着発航空機に対して安全のための航行指示が行われているのと同様に、船舶の出入口に必要な情報提供や航行管制を行う「海上交通センター」等が、特別な港に設置され作動中であることも、変化の傾向の一つといえよう。
このような電波利用の航海援助方式の数々の出現のなか、もっとも新しく出てきた電波機器AISについて、以下概説しておく必要があろう。
一面においてAISによって得られる情報が洋上テロの対策としても有効であることから、国際会議(国際海事機関における1976年の海上安全委員会=MSC76および海上人命安全条約=SOLAS条約)においてAISの船舶への搭載が2004年12月から、と決定された経緯もある(2008年夏までに搭載義務づけ)。
そもそもAISとは、船舶相互間または船舶と陸上局間において、船名・位置・針路・速力等の情報をVHF波(超短波)によって自動的に送受信する装置であり、これによって船位通報の自動化、運航者の労力軽減、通信輻輳(ふくそう)の防止等が可能となるのである。このほか、前述のようなテロ対策にも役だつというのは、AISシステムの特徴から、レーダーと連動させることにより、テロ容疑船の広域捜索、動静監視も可能だからである。すなわち、テロ容疑船のID(identifire=識別子)等があらかじめ判明している場合は、もちろんその発見と追尾は容易であり、判明していない場合でも、レーダー画面上に現れている他船とAIS情報交換が短時間でできるから、それ以外の船を巡視船が追跡し、船名確認や必要措置の実施が迅速にできるのである。というわけで、近時のわずかの期間の間に航海術には大きな変化が生じたといえる。
以上からもわかるように、20世紀末から21世紀にかけての船舶用航行システムの発達は、改良の速度が驚異的であって、わずか数年で新旧情報の間に大きな差ができてしまう。その原因の一つに、コンピュータがある。コンピュータ関係機器の発達と安価入手の可能性の増大が、航行システムを進化させたのである。たとえば、ADコンバーター(アナログ・デジタル変換器)などの格安価格化に伴って、多種類航法機器の小型化・統合化が可能となることなどによって、さらに大きな変化が起こると考えるべきであろう。
[茂在寅男]
日中間での航海は古くから行われ、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は「海岸に循(したが)いて水行し」とあり、山、岬、島などを目標にして走る地乗り航法は、いまの沿岸航法にあたっている。そして朝鮮海峡を越える航海では、「一海を渡る」と記し、島を目標としているので、やはり地乗り航法であった。地乗り航法の利点としては、陸地の目標で自船の位置が確認でき、海況が悪くなったときには、島陰、岬、湾内に避難でき、食料、薪水の補給がたやすいなどの点がある。欠点としては、航路の迂回(うかい)また潮待ち、日和(ひより)待ちなど日数が多くかかることであった。しかし、そのころ、天体や磁石を利用することはなかった。その後、遣唐使船、渡宋船(とそうせん)、遣明船(けんみんせん)、朱印貿易船では、いわゆる沖乗り航法という沖合いでの航海法が発達し、西欧人の航海術も導入され、池田好運の『元和航海書(げんなこうかいしょ)』(1618)が著された。鎖国時代になっても嶋谷定重(しまやさだしげ)の『按針之法(あんじんのほう)』(1670)が書かれたし、日本国内の沿岸、湖沼、河川における航海の頻度は増し、船による運搬量はむしろ多くなった。
この地乗り航法を主とする航海の民俗として、船乗りは自船の所在を知り、船の方向を定め、あるいは海中の岩礁の所在を覚えておくために、アテを決めた。アテとは海上における自船の所在を知るために、いろいろな山の重なりぐあい、離れぐあい、あるいは山上の一定の木や岩石の配置のようすを記憶しておいて目標にしたことをいう。そしてこういう山は信仰の対象ともなった。俗に「船影三里、帆影七里」というが、これは船影は3里離れた所まで見え、帆影は7里離れた所まで見えるという意味である。これも一種のアテであった。
地乗り航法にとってまた重要な航海計器は磁石であった。近世の和船に用いられたウラハリとよばれる磁石は貴重なもので、他国にはみられないという。ウラハリは、磁針1本あれば自船の進路を知りうる方法である。すなわち磁針の周辺に刻んだ方位目盛が本針(ほんばり)と逆回りになっている。そして北を船首側に、南を船尾側になるように船に置いておくと、磁針がこの盤上で示す方角は、つねに船の進んでいる方向を示しているという、きわめて簡便に方向を知る方法で、十二支の方角でこれをたてていた。また航法においては毎日の天候は重要であり、そのために港々には航海の日和(ひより)を見定めるための場所が、日和山と名づけられてあり、現在でも数十か所が知られている。
[小川 博]
『北見俊夫著『日本海上交通史の研究』(1973・鳴鳳社)』▽『電波標識五十周年記念事業委員会編『電波の灯を守って――電波標識50年の回顧』(1978・海文堂出版)』▽『飯田嘉郎著『日本航海術史――古代から幕末まで』(1980・原書房)』▽『『漁村民俗誌』(『桜田勝徳著作集1』所収・1980・名著出版)』▽『石井謙治著『図説和船史話』(1983・至誠堂)』▽『H・C・フライエスレーベン著、坂本賢三訳『航海術の歴史』(1983・岩波書店)』▽『飯田嘉郎著『航海術史』(1984・出光書店)』▽『茂在寅男著『船と古代日本――縄文時代人が太平洋を横断した? 航海術から探る日本史の謎』(1987・PHP研究所)』▽『池田宗雄著『船舶運航のABC』改訂版(1989・成山堂書店)』▽『茂在寅男著『古代日本の航海術』(1992・小学館)』▽『衛星測位システム協議会編『GPS導入ガイド』(1993・日刊工業新聞社)』▽『松本吉春著『精説 地文航法』五訂版(1997・成山堂書店)』▽『西谷芳男著『航海計器シリーズ3 電波計器』(1998・成山堂書店)』▽『飯島幸人・今津隼馬著『新訂 電波航法』(1998・成山堂書店)』▽『板谷毅・藤井春三著『最新 航海読本』(1999・成山堂書店)』▽『テレビ東京編『海を越えた縄文人――日本列島から太平洋ルートで南米まで1万6000キロの壮大な旅』(1999・祥伝社)』▽『近藤倫正著『電波情報工学』(1999・共立出版)』▽『飯島幸人著『航海技術の歴史物語――帆船から人工衛星まで』(2002・成山堂書店)』▽『長谷川健二・平野研一著『地文航法』第5版(2003・海文堂出版)』▽『茂在寅男著『航海術』(中公新書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新