朝日日本歴史人物事典 「竹本隼太」の解説
竹本隼太
生年:嘉永1(1848)
明治期を代表する東京の陶工。江戸深川高橋大工町に生まれ,本名は正典,幼名は八十五郎。家系は代々幕府の旗本で,父の要斎は外国奉行に任ぜられ5000石扶持という高格の武人であった。16歳から幕府に出仕したが,将軍に従って大坂に逗留したとき,陶芸に興味を持ち,江戸に帰ってから小石川の高田豊川町に築窯し含翠園と称した。はじめは薩摩焼を写し,やがて三彩から磁器へと移り,各種の単色釉に工夫を凝らした。その背景には中国の清朝陶磁の影響が色濃い。明治10(1877)年第1回内国博覧会に出品して花紋賞牌を受賞し,名声を確立した。
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報