竹浦(読み)たけのうら

日本歴史地名大系 「竹浦」の解説

竹浦
たけのうら

[現在地名]女川町竹浦

女川湾の北岸にあり、北は待井まちい坂で尾浦おうらきりさきに接し、東の尾浦との海上境はさかいノ浜という所で、西の桐ヶ崎との海上境は海上洞穴より「南江見通候所迄」が竹浦分であった(安永風土記)。村名の由来は、温暖で古くから竹が植栽されていたことによると思われる(女川町誌)正保郷帳に竹之浦とあり、田二八〇文・畑五〇四文。牡鹿郡遠島女川組大肝入扱いのうち。藩政期を通じて蔵入地で、「牡鹿郡万御改書上」は尾浦を含んで記され、元禄年間(一六八八―一七〇四)の村高八五二文、うち田二八〇文・畑四九七文(数字は原本ママ)、茶畑七文・海上高一五〇文、人頭四人、男九六・女七四。「安永風土記」によれば田二八〇文・畑五八二文で、海上高一五〇文、人頭二三人、家数二三、男七四・女五四、馬三、舟二八(刈子舟九・笹葉舟一四・小晒舟五)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報