桐ヶ崎(読み)きりがさき

日本歴史地名大系 「桐ヶ崎」の解説

桐ヶ崎
きりがさき

[現在地名]女川町桐ヶ崎

女川湾の北岸にあり、北は護天(ごてん)山で尾浦(おうら)に接し、東は萱(かや)ヶ三味(さんみ)という所で竹浦(たけのうら)に接し、西は石浜(いしはま)で、似田(にた)山という所までが村の範囲であった。村名は女川湾から江島(えのしま)列島にかけての外洋に発生する濃霧との関連で霧ヶ崎となり、のちに瑞木と称される桐の字をあてるようになったと推測される(女川町誌)。「安永風土記」代数有之百姓書出によれば、村草創の百姓阿部三七は大同年中(八〇六―八一〇)からこの地に住みついたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む