笏賀村(読み)つがむら

日本歴史地名大系 「笏賀村」の解説

笏賀村
つがむら

[現在地名]三朝町笏賀

小河内おごち村の尾根を隔てた西側に位置し、加茂かも川の小支谷にあたる。津賀・筒賀とも記された。南東方に枝村の畑開はたびらき村があり、安政六年(一八五九)領内限りで福吉ふくよし村と改められた(藩史)。拝領高五八石余、本免五ツ。和田氏の給地(給人所付帳)。寛永一〇年(一六三三)の津賀鉄山田畑地詰帳(米原家文書)では田四町一反余・畑六反余。延宝二年(一六七四)の高七六石余、うち本免分(五ツ六歩)六二石余、開高一四石余(「津賀村定遣土免状」同文書)、元禄一六年(一七〇三)の高八〇石余、うち本免分六五石余、開方分一四石余(「笏賀村定遣土免状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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