笠井島村(読み)かさいじまむら

日本歴史地名大系 「笠井島村」の解説

笠井島村
かさいじまむら

[現在地名]設楽町豊邦とよくに

桑平くわだいら新田の南、当貝津とうがいつ川に沿う。慶長八年(一六〇三)検地で四九石余を検出。寛永二〇年(一六四三)の書渡し候証文之事(北設楽郡史)によると、草分地主と思われる庄屋徳兵衛と当村弥十郎の焼畑(そうれ)の地をめぐり、山論が起こっている。奉行所の調停で同年に「落合向山の義三つに割り、弐分徳兵衛未年より徳兵衛分に成り、壱分は弥十郎分に相究め申し候事」とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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