日本歴史地名大系 「笹塚村」の解説 笹塚村ささづかむら 埼玉県:三郷市笹塚村[現在地名]三郷市笹塚駒形(こまがた)村の東に位置し、北は蓮沼(はすぬま)村。村内を幸房(こうぼう)用水が流れ、平沼(ひらぬま)村(現吉川町)から下総国流山に通じる道が通る。田園簿に記載がなく、駒形村に含まれていたと思われる。分村の時期は不明であるが、元禄郷帳に下笹塚駒形村とみえる。同じ二郷半(にごうはん)領内に上笹塚村(現吉川町)があるため下笹塚と称したが、その後下の字を省いたという(風土記稿)。元禄八年(一六九五)の武蔵国幕府領総検地の一環として検地が実施されており、実際には同検地時には分村していたと思われる(元禄一〇年「駒形村検地帳」深井家文書、「風土記稿」など)。 笹塚村ささづかむら 茨城県:下館市笹塚村[現在地名]下館市笹塚神分(かみわけ)村の北に位置する。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となる。江戸初期に下館藩領となり、元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)に村高四四〇・六三三石、寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)にも村名がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by