答志郷(読み)とうしごう

日本歴史地名大系 「答志郷」の解説

答志郷
とうしごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。志摩半島の北にある島のうち最大の答志島(現鳥羽市)を中心とする郷と考えられる。和銅五年(七一二)のものと思われる平城宮出土木簡に「志摩郡手里」がみえるが、「万葉集」巻一の柿本人麻呂の歌に詠まれた「手節(たふし)の崎」とともに、答志島にあたる。藤原宮出土木簡には「塔志里」とも記され、「続日本後紀」承和七年(八四〇)一一月一六日条には「以在志摩国答志島、賜无位常康親王」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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