三重県中東部にある半島。松阪(まつさか)市中心市街と紀北(きほく)町北東部を結ぶ線を基線としてほぼ台形をなし、北は伊勢(いせ)湾に、南は熊野灘(なだ)に、東は遠州灘に面する。地形的には三つに分けられる。一つは伊勢湾岸に沿う伊勢平野の南部。二つは半島の南東端、国崎(くざき)―横山(よこやま)―浜島(はまじま)を結ぶ線の南の先(さき)志摩台地で、ここはかつて海水面があがったときに形成された海食台、堆積(たいせき)台が、現在陸化し平坦(へいたん)面をなしている。その三は残りの侵食のかなり進んだ山地である。海岸は、伊勢平野の離水海岸を除いて、沈水性のリアス海岸で、とくに的矢(まとや)湾、英虞(あご)湾、五ヶ所(ごかしょ)湾は典型的な鋸歯(きょし)状海岸として知られる。地質的には西南日本外帯に属し、古生層、中生層が東西に走る。先志摩台地は中生層の的矢層群の上に第四紀の先志摩層が覆う。気候的には北部は東海型、南部は南海型で、先志摩は黒潮の恵みを受けてとくに冬暖かく、総じて温暖多雨である。したがって植物相も暖帯性で、暖地性シダ、ハマオモト、ハマウド、ツゲモチなどの自生群落が多い。伊勢市の神宮林にこの地域固有の天然森林生態をみることができる。北部は伊勢神宮や鳥羽港(とばこう)があって古くから開けたが、南部はリアス海岸で交通が不便なため、長く海女(あま)漁業や真珠養殖で知られる漁村が点在する地域であった。1946年(昭和21)伊勢志摩国立公園区域の指定を受け、1967年に近畿日本鉄道志摩線が拡幅されてから急速に観光地化が進み、有料道路なども開通して、日本を代表する国際的観光地の一つとなった。賢島(かしこじま)がその中心であるが、近年は先志摩へも別荘、民宿地域が拡大している。
[伊藤達雄]
紀伊半島の東端,三重県中央部で太平洋に突出した台形の半島。南部ではさらに先志摩(さきしま)と称される小半島が分岐している。北は伊勢湾,東は遠州灘,南は熊野灘に臨み,狭義には鳥羽市北西郊の池ノ浦の湾入と志摩市の旧浜島町南張(なんばり)とを結ぶ線以東の旧志摩国の範囲をさす。半島の地形は的矢(まとや)湾北部の鳥羽市国崎と英虞(あご)湾西部の旧浜島町を結ぶ線でほぼ区分される。北西部は壮年期山地の紀伊山地の東端が沈水してリアス海岸をなす。南東部は先志摩台地と呼ばれる標高30~50mの隆起海食台地で,海岸は開析谷が再度沈降した溺れ谷となっている。半島南部は温暖多雨の南海気候区に属し,降霜・降雪はほとんどみられない。海産物に恵まれ水産業が盛んで,古来〈御食(みけつ)国〉として知られる。答志(とうし),国崎,安乗(あのり),和具(わぐ)などでは海女による採貝,採藻が行われ,英虞湾,五ヶ所湾の真珠や的矢湾のカキの養殖が知られる。変化に富んだ海岸地形から全域が伊勢志摩国立公園に指定され,伊勢神宮とあわせ国際的な観光地である。とくに1970年の近鉄鳥羽線の宇治山田~鳥羽間の開通と,鳥羽~賢島(かしこじま)間の志摩電鉄の近鉄による買収によって,名古屋,京都,大阪と直結するようになってから急速に観光開発がすすんだ。英虞湾に面した旧浜島町大崎には,野外ホールなどを備えた大規模なレジャー施設〈合歓の郷(ねむのさと)〉がある。
執筆者:藤本 利治
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