箕浦町(読み)みのうらちよう

日本歴史地名大系 「箕浦町」の解説

箕浦町
みのうらちよう

[現在地名]長浜市朝日町あさひちよう

南の紺屋こんや町から続く南北通りの両側町で、北部で東西通りが交差し、その部分は西は瀬田せた町、東は横浜よこはま町となり、町域が分断されている。朱印地。町名は箕浦(現坂田郡近江町)からの移住町人の町であったことによる。慶安四年(一六五一)検地帳(川崎文書)に屋敷地二九があげられ、うち明屋敷五。元禄八年大洞弁天寄進帳では家数一九、男三一・女四六で、町代・横目が置かれ、禅門がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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