日本歴史地名大系 「箕田庄」の解説 箕田庄みたのしよう 奈良県:大和郡山市白土村箕田庄永観二年(九八四)と推定される湛照僧都分付帳(東大寺要録)の「雑役免」のうちに「箕田庄廿八町二段百八十歩常富 不輸租田五町四段三百歩 伝法院供田一町三段、勧学院田三町五段百八十歩、福田院田六段」とある。これによると、箕田庄は常富負田と東大寺伝法(でんぽう)院などの不輸租田に設定された東大寺の雑役免田と考えられる。嘉応元年(一一六九)の勧学院政所下文(東大寺文書)の可早令勤仕箕田庄所当香菜役事に「当庄者当寺建立以降、大仏御仏聖、元代々聖皇以供御稲被分献、於御菜者、以公田三百六十町、毎日供奉年尚、(中略)地主者発志院也、負処者進官、又東大寺雑役免也」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by