日本歴史地名大系 「築地反射炉跡」の解説 築地反射炉跡ついちはんしやろあと 佐賀県:佐賀市佐賀城下長瀬町築地反射炉跡[現在地名]佐賀市長瀬町現在、日新(につしん)小学校の校庭に小型の反射炉の模型がある。ここが築地反射炉跡である。フェートン号事件以来海防の必要性を痛感した佐賀藩では、藩主鍋島直正の判断で大銃(おおづつ)製造方を設け、幕府の伊豆韮山(にらやま)代官江川英竜とも提携し、嘉永三年(一八五〇)七月から同五年までに、伊東玄朴の弟子の杉谷雍助が翻訳した蘭書をもとに本島藤太夫・田代孫三郎・田中虎六郎・数学者馬場栄作・鋳物師谷口弥右衛門・刀鍛冶橋本新左衛門らが協力して四基の反射炉を造った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by