築那院跡
ちくないんあと
[現在地名]吉備町大谷
真楽寺のある地域一帯にあったとされる真言宗寺院。伝えによると貞観二年(八六〇)国主文室朝臣真人益善が僧真雅に帰依して、上ノ坊・下ノ坊に伽藍を建立したが、承安元年(一一七一)に大火に遭ったという(有田郡誌)。真偽はともかく、旧寺域から出土した唐草文軒瓦は平安時代初期と推定され(吉備町誌)、伝承の創建年代とあまり隔たっていない。小字に上坂ノ坊・下坂ノ坊があり、現在真楽寺のある下坂ノ坊から軒丸瓦が出土しており、藤原時代の製作と推定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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