築那院跡(読み)ちくないんあと

日本歴史地名大系 「築那院跡」の解説

築那院跡
ちくないんあと

[現在地名]吉備町大谷

真楽しんらく寺のある地域一帯にあったとされる真言宗寺院。伝えによると貞観二年(八六〇)国主文室朝臣真人益善が僧真雅に帰依して、上ノ坊・下ノ坊に伽藍を建立したが、承安元年(一一七一)大火に遭ったという(有田郡誌)真偽はともかく、旧寺域から出土した唐草文軒瓦は平安時代初期と推定され(吉備町誌)伝承の創建年代とあまり隔たっていない。小字に上坂かみさかぼう・下坂ノ坊があり、現在真楽寺のある下坂ノ坊から軒丸瓦が出土しており、藤原時代の製作と推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 食肉目クマ科の哺乳類の総称。全般に大形で、がっしりした体格をし、足の裏をかかとまで地面につけて歩く。ヨーロッパ・アジア・北アメリカおよび南アメリカ北部に分布し、ホッキョクグマ・マレーグマなど7種が...

熊の用語解説を読む