20世紀日本人名事典 「篠原温亭」の解説 篠原 温亭シノハラ オンテイ 明治・大正期の俳人 生年明治5年11月1日(1872年) 没年大正15(1926)年9月2日 出生地熊本県宇土町 本名篠原 英喜 別名別号=松濤家巣 学歴〔年〕京都本願寺文学寮 経歴国民新聞に30余年勤続し、社会部長などを務めた。「ホトトギス」系で句作をし、「国民俳壇」の育成にあたった。また「最初の写真」などの写生文も発表。大正11年俳誌「土上」を創刊した。著書に写生文集「其の後」、小説「不知火」、没後に編まれた「温亭句集」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「篠原温亭」の解説 篠原温亭 しのはら-おんてい 1872-1926 明治-大正時代の俳人。明治5年2月1日生まれ。国民新聞文芸部に勤務。「ホトトギス」で正岡子規,高浜虚子にまなび,大正11年嶋田青峰(せいほう)とともに俳誌「土上(どじょう)」を刊行。大正15年9月2日死去。55歳。熊本県出身。本名は英喜。句集に「温亭句集」,随筆集に「その後」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by