篠田庄(読み)しのだのしよう

日本歴史地名大系 「篠田庄」の解説

篠田庄
しのだのしよう

古代蒲生がもう郡篠田郷(和名抄)の郷域に成立したと考えられる勧学院領庄園。「蒲生郡志」は現中小森なかこもり町付近一帯に比定するが、東方現馬淵まぶち町にはかつて勧学院と称する寺院があり、同町くらまちは同郷正倉跡と伝える。「勘仲記」弘安六年(一二八三)五月二九日条に「今日自前殿下御方拝領一村、勧学院領近江国篠田庄、此地建長七父知行地也」とあるが、同八年八月日の東大寺注進状案(東大寺文書)には「篠田庄在蒲生郡」の転倒の由来および当知行は不明と記され、かつては奈良東大寺領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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