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六角高頼 ろっかくたかより

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

六角高頼
ろっかくたかより

[生]寛正3(1462)
[没]永正17(1520).10.29. 近江
室町時代中期の武将。近江守護。満高の子。大膳大夫。通称,四郎。法名,宗椿。長享1 (1487) 年7月,管内の社寺領や幕府近臣の所領を押領したため,同年9月近江坂本に将軍足利義尚の征伐を受けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

六角高頼 ろっかく-たかより

?-1520 室町-戦国時代の武将。
六角久頼(ひさより)の子。南近江(おうみ)の守護大名。応仁(おうにん)の乱では西軍に属し,東軍の京極氏とたたかう。乱後も公家(くげ)・寺社領の押領をつづけ,幕府の追討をうけた。家臣伊庭(いば)氏の反乱にもくるしんだ。永正(えいしょう)17年10月21日死去。初名は行高。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

六角高頼

没年:永正17.10.21(1520.12.1)
生年:生年不詳
戦国時代の大名。近江国(滋賀県)守護佐々木(六角)久頼の嫡子。幼名は亀寿丸。のち四郎,行高を名乗る。文明15(1483)年には大膳大夫となり,すでに高頼と名乗っている。応仁の乱(1467~77)においては西軍(山名持豊方)にくみし,東軍(細川勝元方)の京極持清と結んだ従兄の六角政尭や江北の京極氏と敵対した。近江国守護職については,たびたび解任と補任を繰り返すが,これは応仁の乱による影響や,高頼が幕命に従わず領国経営に傾倒したためであった。戦国大名化する六角氏による所領横領などの行為は当然幕府の許すところではなく,幕府はたびたび高頼討伐の軍を近江に出した。長享1(1487)年の将軍足利義尚の出陣は,鈎(栗東町上鈎)に陣を張るほど大がかりなものであったし,足利義材の出陣も近江に2年余もとどまるくらいの力の入れようであった。しかし高頼は,そのつど巧みに甲賀郡や伊勢国(三重県)に落ち延び,そしてしたたかに勢力を持ち直して近江に君臨するのであった。<参考文献>『近江蒲生郡志』2巻

(宇野日出生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

六角高頼
ろっかくたかより
(?―1520)

近江(おうみ)の守護、戦国大名。久頼(ひさより)の子。幼名亀寿。生年は不詳だが、1472年(文明4)には元服し、四郎行高(ゆきたか)と名のっている。高頼と名のるのは83年(文明15)と考えられ、同年大膳大夫(だいぜんたいふ)に任ぜられた。応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の内乱期(1467~77)には年少で、一族の山内政綱(まさつな)や伊庭貞隆(いばさだたか)が守護代として勢力をもった。また西軍につき、守護職をめぐって京極持清(きょうごくもちきよ)・政高(まさたか)父子、さらには従兄弟(いとこ)政堯(まさたか)・政信(まさのぶ)と争った。その後、山門(比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ))領および寺社本所領や幕府近習奉公衆(きんじゅうほうこうしゅう)の所領を押領したことにより、87年(長享1)将軍義尚(よしひさ)の討征を受けたが、甲賀(こうが)、伊勢(いせ)に逃れて服さず、続けて91年(延徳3)には義稙(よしたね)の討征を受けた。しかし将軍が帰洛(きらく)すると勢力を回復し、95年(明応4)には赦免された。その後さらに荘園(しょうえん)・所領の侵略を進めて領地を広げ、一方で伊庭貞隆の乱を破り(1503)、国人(こくじん)の九里(くり)氏を殺害し(1511)、家臣団を統制して戦国大名としての基盤をつくった。晩年氏綱(うじつな)に家督を譲ったが早逝され、次男定頼(さだより)に譲った(1518)。永正(えいしょう)17年10月21日病没。法号龍光院仙翁宗椿(りゅうこういんせんおうそうちん)[宮島敬一]

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世界大百科事典内の六角高頼の言及

【近江国】より


[戦国時代]
 応仁の乱では京極氏は細川方,六角氏は山名方につき,山門・寺門の争いや土一揆もあって,近江では戦乱が絶えなかった。その後,近江守護六角高頼は領国支配の強化を図り,幕府の命に背いて国内の寺社本所領や幕府近臣の所領を押領(おうりよう)した。1487年(長享1)将軍足利義尚は近江に出陣して高頼を伊勢に追ったが,義尚は陣中で没した。…

【六角征伐】より

…室町幕府9代将軍足利義尚の1487‐89年(長享1‐延徳1)と,10代将軍足利義材(義稙)の1491‐92年(延徳3‐明応1)の2度にわたって行われた,近江守護六角(佐々木)高頼を討伐し,押領された荘園を回復するための出兵。 応仁の乱後,諸国で守護大名とその被官による公家や寺社領の押領がひんぱんになり,近江でも守護六角高頼とその被官による荘園の押領がはなはだしかった。…

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