籠渡跡(読み)かごのわたしあと

日本歴史地名大系 「籠渡跡」の解説

籠渡跡
かごのわたしあと

[現在地名]神岡町谷

高原たかはら川とみや川が合流する付近は、両岸が切りたった崖となり、交通難所であり、かつては橋もかけられなかったため、藤で編んだ籠を綱を使って往来させ、人や物を渡した。「飛州志」には「綱橋、一名籠済かごのわたりト号ス、是渓深ク岩石高クシテ船モ用ヒガタク桟道ヲ作ルニハ材力及バズ故ニ昔ヨリ是ヲ用ヒ来レルモノナリ是ヲ造ルハ先ツ太キ苧綱ヲ両岸ニ張亘シ岩石ニ結ビカタメテ命綱ト云弥猴口藤ヲ以テ柱藤ヲ四筋立テ其下ニ人ノ入ルベキ程ノ籠ヲ作リ附テ命綱ニ懸其籠ノ前後ニ綱ヲ二筋ツケテ両岸ニ引ハリテ引ヅナトセリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む