20世紀日本人名事典 「米倉久子」の解説 米倉 久子ヨネクラ ヒサコ 大正・昭和期の歌人 生年明治22(1889)年11月6日 没年昭和13(1938)年2月9日 出生地山梨県 経歴大正4年短歌雑誌「潮音」の創刊に参画し、その幹部同人として活躍。7年歌人で小学校校長の小田観螢と結婚、夫の任地・北海道に移住し、二児をもうけた。のち、病気のため昭和1年郷里山梨県に帰り、以後、約10年に渡って療養生活を送る。この間、看病による手厚い看病を受けて互いに心を通わせ、“現代の比翼歌人”と賞された。夫婦の共著に歌集「忍冬」があり、没後には遺歌集「竹落葉」が編まれた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米倉久子」の解説 米倉久子 よねくら-ひさこ 1889-1938 大正-昭和時代前期の歌人。明治22年11月6日生まれ。大正4年「潮音」創刊とともに同人となる。7年小田観蛍(かんけい)と結婚,北海道にわたる。昭和元年転地療養のため郷里山梨県にかえり,13年2月9日病死。50歳。観蛍と歌集「忍冬」をあらわした。遺歌集に「竹落葉」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by