米屋村(読み)こめやむら

日本歴史地名大系 「米屋村」の解説

米屋村
こめやむら

[現在地名]稲沢市高重たかしげ町・高重〈西にし町・ひがし町〉

東を流れる東源寺とうげんじ川を境に増田ました村に接する。天保村絵図によると、八神やがみ街道が村の東から北へと曲がりながら通り、西米屋にしこめや・東米屋に分れ、その間に有松ありまつ村が入込み、人家は西米屋に集中していた。天正末には、織田信雄の家臣生駒式部少輔の知行地であった(織田信雄分限帳)

概高二二八石余で、二〇〇石余は藩士三人の給知。日下部くさかべ奥田おくだ北島きたじまの各村へ出小作をし、「フトダイコンヲ作リ出セリ、又切干モ少シツヽ製シテウリ出スト也」(徇行記)という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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