デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粟屋帯刀」の解説 粟屋帯刀 あわや-たてわき ?-1865 幕末の武士。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。保守派の撰鋒(せんぽう)隊をひきいて美禰郡(みねぐん)絵堂に陣をかまえ,赤間関に進軍しようとしたが,討幕派の奇兵隊,膺懲(ようちょう)隊,御楯隊の兵におそわれ,元治(げんじ)2年1月戦死した。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の粟屋帯刀の言及 【大島[町]】より …大畠瀬戸をはさんで本土の大畠町とを結ぶ大島大橋が1976年に完成し,屋代島の入口になった。干拓地の小松開作には元禄年間(1688‐1704)に粟屋帯刀によって開かれた塩田跡があり,塩の積出しなどにより,小松開作は港町として栄えた。島では珍しく沖積地が開け,米作が行われている。… ※「粟屋帯刀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by