…室町中期ごろには,内膳司の機能が御厨子所(みずしどころ)に吸収され,御厨子所別当を兼ねていた公家の山科家による供御人の支配が確立した。室町期に多くの荘園が解体した中で,粟津供御人が繁栄に向かったのは,第1次産業から第3次産業への転換に成功したからで,以後積極的に流通機構の掌握に乗り出していく。1414年(応永21)には他国産の商品・絹布類の販売を始め,81年(文明13)には本所山科家が庭田家との紛議に勝訴し,大津東西浦の供御人も傘下に収めた。…
※「粟津供御人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...