粟生寺(読み)そくしようじ

日本歴史地名大系 「粟生寺」の解説

粟生寺
そくしようじ

[現在地名]今立町粟田部 馬場

金剛山と号し、天台真盛宗。本尊釈迦如来。寺伝によれば、天平年中(七二九―七四九)泰澄の開創という。その後長く衰亡していたが、延徳年中(一四八九―九二)近江坂本西教さかもとさいきよう(現滋賀県大津市)の真盛の弟子真一が再興したとされる。永禄三年(一五六〇)以来禁中に参内する格式を得て、綸旨を賜ったという。寺名は天文二二年(一五五三)一一月一七日の朝倉氏の家臣小泉長利の田畠寄進状写(木津家文書)に粟田部粟生寺とみえるが、元和八年(一六二二)には福井藩主二代松平忠直が当寺の什物であった天下無双の絵賛を召上げた代りに、寺領一〇石を寄進した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 若狭

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む