日本歴史地名大系 「粟生庄」の解説 粟生庄あおのしよう 兵庫県:小野市粟生村粟生庄青野(あおの)原の東方、現粟生町付近に比定される。地名の由来は当地が古来粟が多くできる畑の所在地だったことによるという。「小野市誌」は播磨古所拾考により近隣の現阿形(あがた)町・黍田(きびた)町付近とともに古代から朝廷の御料地で、付近に屯倉が設置されたとする。播磨国粟生庄・赤穂庄、垂水(たるみ)庄(現神戸市垂水区)・益気(やけ)庄(現加古川市)などは、承和五年(八三八)に庄々惣券・庄々公験を得て奈良東大寺領になり、久安三年(一一四七)当庄・垂水庄・赤穂庄の三庄と大部(おおべ)郷とが交換され(保元二年八月日「東大寺領播磨国庄園文書目録」東大寺文書)、東大寺領大部庄が立券された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by