赤穂庄(読み)あこうのしよう

日本歴史地名大系 「赤穂庄」の解説

赤穂庄
あこうのしよう

千種ちくさ川の河口に発達した庄園。前身坂越さこし(和名抄)塩山を中心に形成された石塩生いしおい庄で(→坂越郷、天平勝宝八歳(七五六)一〇月一日の官符によって奈良東大寺に勅施入されたと考えられる(大治五年三月一三日「東大寺諸庄文書并絵図目録」東大寺文書)。赤穂庄の名がみえるのは仁平三年(一一五三)四月二九日の東大寺諸庄園文書目録(同文書)が早く、久安三年(一一四七)に播磨国内の垂水たるみ(現神戸市垂水区)粟生あお(現小野市)、赤穂の三ヵ庄と加東かとう大部おおべ(現小野市)とを交換した(応保二年五月一日「官宣旨案」東南院文書)。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)によれば、当庄はこの時すでに山城国石清水いわしみず八幡宮宿院極楽寺領となっており、元暦二年(一一八五)源頼朝は当庄をはじめとする八幡宮寺領に対する武士の押領停止を命じている(同年正月九日「源頼朝下文案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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