日本歴史地名大系 「粟賀村」の解説 粟賀村あわがむら 兵庫県:神崎郡神崎町粟賀村[現在地名]神崎町粟賀町現神崎町の南西寄りに位置し、市(いち)川の支流越知(おち)川の下流左岸に立地する。同川は村の北西端で南流してきた猪篠(いざさ)川を合する。神東(じんとう)郡に属し、北は中(なか)村、西は下吉富(しもよしとみ)村・東柏尾(ひがしかしお)村、南は加納(かのう)村・福本(ふくもと)村。南北に生野(いくの)街道が通る。「播磨国風土記」の神前(かんざき)郡岡(はにおか)里の条にみえる粟鹿川内(あわがかわち)の遺称地。同書によると、川が但馬の阿相(あさご)郡の粟鹿山より流れ来ることから名付けられたという。また楡が生えていると記されている。ただし現神崎町を流れる粟賀川(市川支流)は正確には粟鹿山から発源せず、その南約一〇キロの三国(みくに)岳から発している。中世には当地を中心とする一帯は粟賀庄に含まれ、現粟賀町・福本付近は下(しも)村とよばれた。近世初期にも下村と称し、寛永一三年(一六三六)下村から新土野(しんどの)が分村、寛文四年(一六六四)に下村が粟賀村に、新土野が福本村に改称したという(「福本藩由来記」徹心寺蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by