日本歴史地名大系 「糘塚古墳群」の解説
糘塚古墳群
すくもづかこふんぐん
[現在地名]長門市東深川 田屋
大正一四年(一九二五)大津中学校建設に伴い、その埋立の採土用に掘り取られ隠滅した。破壊前の残丘は、北東から南西方向を長軸とする七〇メートル前後の瓢形に近い独立丘で、当時の調査報告「防長原史時代資料」によると前方後円墳と記されているが、横穴古墳群である。
横穴群は、この墳丘状の孤立丘の南側に一四個が四段に配置され、個々の横穴墳は羨道部約六〇センチ、奥行約二・四メートル、天井の高さ約一・二メートルの単室形式のもので、羨道の入口は扁平な石材をもって閉塞されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報