糸我庄(読み)いとがのしよう

日本歴史地名大系 「糸我庄」の解説

糸我庄
いとがのしよう

有田川下流南岸、保田やすだ庄の東側、現糸我町辺りにあった荘園。天福元年(一二三三)智定房(下河辺行秀)が補陀落渡海をとげたことを鎌倉の執権北条泰時に報じた書状が、糸我庄より到来したことを記す「吾妻鏡」同年五月二七日条の記事が荘名の初見。ただし糸我(鹿)は「万葉集」にもみえ、歌枕にもなっており、荘内を熊野街道が通り、糸我王子があった(→糸我坂

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む