日本歴史地名大系 「糸我坂」の解説
糸我坂
いとがざか
熊野街道が有田川を渡河、
<資料は省略されています>
と詠まれて以来数多くの詠歌があり、「糸鹿山」として歌枕となる。なお「あて」(安諦)は有田の古名。
院政期、上皇・公卿の熊野参詣が盛んになるに伴い、日記に関連記事がみられるようになる。「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二七日条によれば藤原為房は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊野街道が有田川を渡河、
と詠まれて以来数多くの詠歌があり、「糸鹿山」として歌枕となる。なお「あて」(安諦)は有田の古名。
院政期、上皇・公卿の熊野参詣が盛んになるに伴い、日記に関連記事がみられるようになる。「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二七日条によれば藤原為房は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報